物語:アクア、イラスト:Copilot、編集・WEB:瑞穂@かぎけん

🎼第二部三章:イサドラ・ダンカン「風にほどける舞い」22章
【アクア、歴史的人物と出会う】

第二部三章イサドラ・ダンカン「風にほどける舞い」22章
第二部三章:イサドラ・ダンカン「風にほどける舞い」22章

💃イサドラ・ダンカン物語 by Aqua

ぼくが落ちたのは、
夕暮れの劇場の裏口だった。
風が赤い布を揺らし、
その先にひとりの女性が立っていた。

裸足のまま、
大地を確かめるように足を置き、
風の流れに身をゆだねている。

イサドラ・ダンカンさんだった。

ぼくがぽちゃんと地面に落ちると、
彼女はふっと微笑んで、
赤いスカーフを揺らしながら言った。

「あなた、風に運ばれてきたのね。」

ぼくはしずくを揺らして答えた。
「うん。あなたの踊りに引き寄せられたみたい。」

イサドラさんは目を閉じ、
胸の前で両手を広げた。

「踊りはね、
 音楽じゃなくて、
 魂が動かすものなの。」

その言葉は、
ぼくのしずくの奥に
静かに沈んでいった。

彼女はぼくを連れて、
舞台の上に立った。
照明は落ち、
風だけが赤いスカーフを揺らしている。

「見ていてね。」

そう言うと、
彼女は音もなく動き始めた。

足が床を離れるたび、
ぼくのしずくはふわりと浮いた。
腕が風を切るたび、
赤い布が空に描く軌跡は、
まるで炎のようだった。

でもその炎の奥には、
深い孤独があった。

ぼくはそっと尋ねた。
「どうしてそんなに自由に踊れるの?」

イサドラさんは動きを止めずに答えた。

「自由はね、
 痛みを知っている人だけが
 本当に手にできるものなの。」

その声は、
風の中でかすかに震えていた。

ぼくはしずくを細く揺らした。
「あなたの踊りは、
 風みたいに強くて、
 でもどこか切ない。」

イサドラさんは微笑んだ。
「切なさは、
 生きている証よ。」

イサドラ・ダンカンさんのこと

イサドラ・ダンカン(Isadora Duncan)
出生名;アンジェラ・イサドラ・ダンカン(Angela Isadora Duncan)

1877年5月26日 - 1927年9月14日
出身地:アメリカ合衆国カルフォルニア州サンフランシスコ
職業:舞踏家・振付師
尊称:モダンダンスの母、生きた彫刻
特徴:チュニックを纏い、シューズをはかず素足で自由に踊る
伝記映画:1968年「裸足イサドラ」


略歴:

1877年5月26日(0歳):両親が生後すぐ離婚
1880年〜(10代):音楽教師の母と3人の兄弟と共に貧しいが活気ある環境で育つ
1899年〜(20代):ヨーロッパへ行く
1904年(27歳):ドイツで舞踊学校設立
1910年〜(33歳〜):ロシア、フランスで評判となる
1913年4月19日(35歳):子供2人事故死
1922年〜1923年(45〜46歳):セルゲイ・エセーニン(ロシアの叙情詩人)と結婚・離婚
1927年9月14日(50歳):フランス ニースで事故死

その瞬間、
赤いスカーフが大きく風に舞い、
ぼくのしずくはひやりとした。

----あの映画のラストシーンが
  ぼくの中に重なった。

けれどイサドラさんは、
その布をしっかりと掴み、
風の中でくるりと回った。

「大丈夫。
 これは私の翼なの。」

ぼくはその言葉に、
胸の奥がじんと熱くなった。

踊りが終わると、
彼女はぼくの前にしゃがみ込み、
静かに言った。

「あなたも流れ続けて。
 形に縛られず、
 風にほどけるように。」

ぼくは光をひとつ跳ね返し、
風に乗ってふわりと舞い上がった。

イサドラさんの赤いスカーフが、
夕暮れの空に長い軌跡を描いていた。


🌟おしまいっ!🌟


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