おもしろきこともなき世を面白く(上)

時は明治という元号の一つ前、慶応年間のことである。

勤皇の士との関わり合いを好ましく思わない福岡藩に目を付けられ姫島に流されていた望東尼の手に便りが届いた。そもそも流人である望東尼に文が届くなど世が世ならあり得べくもない。勤皇の姿勢を藩に咎められて流されたものの、藩論は佐幕で必ず盤石ではなく両派の勢力は目まぐるしく転変していた。そんな中であるから、望東尼の手にも過去に知り合った志士から便りが時にはあった。だがこの文、包紙に宛名も差出人もない。

包紙を開き、中身を広げると見覚えのある軽快な文字で認められている。もと殿で始まる手紙は文字とは正反対に今年に入ってから起こっている世の中を揺るがすような大事が書かれている。薩摩と長州盟約は仄聞していたがどうやら差出人が首謀者の一人のようである。内患外憂のこの日の本の国で思うに任せないことが多いことをひとしきり書き、それも最近変わり始めたことを喜び、最後に

おもしろきこともなき世を面白く の意気   東行

と結ぶ。

便りを持ってきた漁師に見える男に返事を書くのでしばらく待つよう声をかけて、望東尼はすぐさまに筆をとった。

お便り拝領 大事の差配、心労如何ばかり
軒昂な意気 お見事なれど難しき病有之
住みなすものは心なりけり
とお応えるもの ご自愛第一  もと

と素早く書き返書として男に預けた。

手紙の主、東行は高杉晋作として広く知られる人物。尤もこの時期、正確には藩命により高杉家を廃嫡され谷潜蔵の名で谷家100石の当主となっていた。が、この稿ではよく知られた高杉晋作として書き進める。

九州各藩の志士とは長州からも遠くはない福岡の地で会合することが多かった。藩論定かならぬ、九州諸藩の志士が海峡を渡るだけでも身辺を注意する必要があったという事情もある。そんな中で維新の気概の篤い望東尼は晋作のためにしばしば平尾山荘の都合を付けた。その縁でもと殿、東行殿の仲で文をやり取りしていた。その一つが上の手紙である。

ところで晋作は後年、果断不屈の行動家として強く印象されているが、長州の武家としての彼は謹厳と言っても良い。晋作の父、小忠太は藩の直目付という重臣であり学習館御用掛を務める知識人でもあった。廃嫡の件は藩論が一定しない中で高杉家の取りつぶしを避け晋作の居場所を両立させる苦心の結果である。小忠太は教育熱心で晋作に藩校で学ばせ、剣術も皆伝されるまでに仕込ませた。藩校の後、吉田松陰が主宰する松下村塾に入る。松蔭はその学問や知識を評価しつつも、それ以上に晋作の不屈の論説を「強質清識凡倫に卓越す」として強調している。6年ほど先輩に当たる桂小五郎、後の木戸孝允は「頑固の性質」という言葉でその姿勢をやや難じつつも、俊邁と評している。

父、小忠太がそうであったように、長い武家社会が作り上げてきた、精緻な価値観や武家的な知性を藩校までに身につけそれらを正面から肯ずる価値観を得たのだろう。一方、松下村塾で師である吉田松陰や塾生の闊達で不屈な姿勢に接し、武家的価値観に屈する自分が許せないという衝動が晋作の二面性の由来とも言えるかもしれない。さらに言えば武家的価値観を持って長州藩のために行動し、果断と不屈が行き過ぎると藩から制止され帰藩を命じられ、役職を外された。謹厳な藩士と果断な行動家の二つを一人物に共存させるために、その狭間に一流の洒脱があったのだろう。

・・・

手紙である。望東尼の手元を離れ1月過ぎた後、晋作の下に届いた。時間がかかったのは福岡藩の藩論が揺らぎ、その隙をついてやり取りが出来るとは言え流刑人の手紙である。飛脚便のように簡単に届けられるものではない。また、この時期晋作があちこちにいたために直接届けられなかった事情もあるだろう。

戦が始まってしまえば不屈果敢の晋作であるが、文を受け取った時は謹厳な海軍総督の顔をして戦支度の真っ最中であった。文を開き、目を走らせた時、晋作の謹厳は周りから見ても分かるほどほどけた。山縣狂介が
「奥方様からでありますか。」
と長州訛りで聞いてきた。
「いや、もと殿だ。」
「お顔を見ておりまして、奥様からかと早合点しました。島に流されたと聞いておりますが。」
「その、島からよ。」
「流された先からそのようなことが出来るのでしょうか。」
晋作はそれには直接答えず
「おもしろうもない世の中を面白うする気概を知らせた、その返事よ。」
今一つ、理解が伴わない狂介はやや間の抜けた返事をする。
「はあ。」
「…。気張って面白くしてくれと書いとった。さっ、続けよう。」
と書いてあることと別のことを言いながら晋作はその文を懐にしまった。

望東尼が難しい病と書いた通り、このところ小康を得てはいるが咳が多く疲れやすく、一旦疲れてしまうと容易には回復しなくなっていた。痰に血が混じることも一再ではなく、本来であれば「ご自愛第一」なのだが長州を巡る情勢は晋作にそれを許さない。体を押しての戦支度なのである。長州藩を守るという謹厳と力で抑え込もうとする幕府のやり口に対する不屈が同時に晋作を動かしているとも言えた。

おもしろきこともなき世を面白く(中)につづく

この物語はフィクションです