「情報」は恐ろしい

途中、理屈が多くなります。合わない方は読み飛ばして動画をお楽しみください。ひたすら山の中を走っている動画です。科学技術部長は「自分で」感じて、考えて、決めることがとても大事だと思います。が、これがとても難しい。

理屈っぽいので読み飛ばし推奨

ここから理屈っぽい– 「自分」の基礎に知識や経験、記憶などがあってそれらは全て「正しい」とは限らないからです。知識も誤解があるかもしれないし、経験や記憶はしばしば都合よく正当化されています。とはいえ感じることは「自分」で出来ないことはない。しかし、しばしばその「感じる」ことすら情報に侵されやすい。本来素晴らしいものに出会っても、それが評価を得てないという情報に侵されると「あれは大したことがない」などと感じてしまうこともあります。

考えるには更に情報が必要になります。しかし情報はしばしば誰かの都合が良いものが多く流布します。だから自分で考えていると思っても、情報に誘導された考えをしてしまいます。これはこう書いている科学技術部長にも身に覚えがあります。感じたことをおざなりにして情報に侵された考えで決めたことを後悔したことが度々あります。

科学技術部長は自分で感じて、考えて、決めるまでは情報に積極的には触れないようにしています。感じ方や考えが情報に侵されたくはないのです。それだけ情報は恐ろしい。 –理屈ここまで

生の「感じ」を感じる楽しみ

なので、どこか出かけるときも情報は最小限度しか調べません。科学技術部長の趣味はツーリングです(科学技術部長のダムツーリングサイトはこちら)がどこに行くか決めて大まかな経路を調べておくだけです。ナビはまず使いません。

道に迷うことしばしばです。でもそれが良いと思ってます。道は間違っていないか?このまま進むべきか、引き返すべきか。こんな山道をずっと進んでいったらさらに辺境に行ってしまうのでは(大袈裟?)。寒くなってきたけど道は大丈夫か大人なので危険は厳禁。そんなことを思いつつ、目的地の標識が出てきた時の「ホッ」とした感じや、思いがけず素晴らしい風景に出会った「ワーっ!」という感じは情報に侵されていない「生」の感じです。

動画は群馬県道63号線をツーリングした時に撮影。ひたすら人気のない山道を走っていると時間や距離感がマヒしてきて「あれー道間違った?」とか思ってしまいました。幹線の国道401号に合流した時は生の「ホッ」を感じました。

— 今日は終戦記念日です。科学技術部長の二人の祖父は招集に応じそれぞれ南方で戦死しました。戦死と言ってもどのような状況でなくなったのかは定かではありません。すべての戦争で亡くなったすべての人々に合掌。 —

ひたすら山の中、舗装道とは言え道間違ったかなあと不安な時間帯